2018年10月24日水曜日

奥卑利街の老舗珈琲豆店の引っ越し

 香港島の大館(旧中環警察+ヴィクトリア監獄)近くにある老舗のコーヒー豆専門店「奥林比亞接臣珈琲(Olympia Graeco Egyptian Coffee)」がビルの建て替えで立ち退かなくてはならず、移転することになった。最近の香港では珍しくなくなってしまった悲しい知らせだ。地価高騰の中、ビルの売却やら建て替えによって、多くの人に愛されてきた店が突如姿を消してしまう。
 11月1日から3か月間はPMQ(旧既婚警察官の宿舎、今はお洒落な文化&商業施設)でポップアップショップを展開するとのこと。ただし、その後の移転先はまだ決まっていないようだ。
 移転準備のため10月23日から休業、10月22日が現店舗の営業最終日となった(涙)。
奥卑利街の急な坂にあった老舗珈琲豆店
 イラストレーターの小野寺光子小姐に誘われ、急な坂の途中にある店を初めて訪れた時は「香港にこんなマニアックなコーヒー豆店が!?」と驚愕した。それほど広くない店の奥には数台の焙煎機が並び、中にはかなり歴史を感じさせるものも。香港には珍しいコーヒー豆専門店だったのだ。
 実は、香港は美味しいコーヒーが飲めない「コーヒー砂漠」として長らく知られてきた都市である。茶餐廳でもコーヒーは飲めるが(ミルク入りが基本、ミルク抜きにしてもらうこともできる)、出されるのは香りがほとんどしないどんよりとした独特な味の珈琲なのである。香港の人は「コーヒーってどこがおいしいのかな?」とずっと思いながらこれを飲んできたと思う。

 実をいうと、「香港人と珈琲とのかかわり(受け入れないという反応も含めて)」についてはとても関心がある。茶餐廳に入ってくる珈琲豆はどこのものなのか、ミルクティーと珈琲を合わせた「鴛鴦茶」誕生秘話(当初、珈琲が売れず、余った珈琲豆の消費方法としてこのメニューが生まれたと勝手に推測している)など、知りたいことはいろいろあるのだが、それはさておき、それくらい香港人には珈琲は長いこと受け入れられず、そしておいしい珈琲も飲めなかったのだ。
 そんな香港において、このお店のコーヒー豆はコーヒー好き外国人に愛されてきた。当然だろう。(後年は日本人駐在家族もよい顧客になったとか)。

 マンダリンオリエンタルなど五つ星ホテルにも先代店主の何伯氏(故人)が焙煎したブレンドが納入されてきたそうだ。
 現在、店を切り盛りしているのは何伯氏の子供たち。気さくでフレンドリーな接客担当のKatieさんと、職人気質を漂わせる焙煎担当のEdwinさんの姉弟である。2011年に亡き父親の後を継いだ。
 二人の話や各メディアの記事などをまとめると、店の歴史は1927年、ギリシア系のエジプト人が中環畢打街にタバコとコーヒー豆を商う店を開いたのが始まり(当時の店名はGraeco-Egyptian Store)。その後、第二次世界大戦が終結すると、女婿のギリシア人のSarafoglous 氏が後を継ぎ、1955年から姉弟の父、何伯氏が焙煎担当として働きだした。なお、何伯氏は広東省新會出身で子供の頃に香港に渡り、当初は船舶会社関連の倉庫で働いてたそうだ。
 やがて1984年に子供がなかった二代目から何伯氏が店を譲り受け、店名に奥林比亞(Olympia)が加わったとか。
 エジプト人→ギリシア人→香港人とさまざまな背景をもつ人たちに受け継がれて90年。東西文化が交錯した香港らしいプロフィールをもつ店なのだ。
急な坂道の途中にあった店内には
焙煎や豆を挽くマシーンがずらり

 ところで4代目の時代に入り、香港でもコーヒーブームが起き、香港人のお客も増えてきた。姉弟も珈琲豆の研究を重ね、豆の種類を増やしている。いよいよ香港にコーヒー新時代が到来?
 なお彼らの父・何伯氏によるブレンドは「プレミアムブレンド」として販売。今も人気が高い。
 こうして店も新しい時代を迎えつつある。
 そうした中で、父親から受け継いだ店の移転は4代目姉弟にとって大きな試練だろう。どうか彼らの商いにとってよい場所が見つかってほしい。そして老舗珈琲豆店の次の時代を切り開いてほしい。
 とりあえず11月からオープンするというPMQのお店に行くつもりだ。



父の店を継いだ姉弟。職人な弟が姉さんにちょっと
偉そうに指示している様子もなんだか微笑ましいのだ