2020年6月15日月曜日

牛池灣村と充実の牛池灣街市【牛池湾村探訪2】

100年の歴史の牛池湾村、見学してみたかった…


 牛池灣村の「新龍城茶樓」で早茶を終えたら、商店が並ぶにぎやかな龍池径をご近所の方々に交じって歩くのが楽しい。新龍城茶樓の並びには上海式理髪店やインドネシア料理店(多分)、おいしそうなお惣菜屋も並ぶ。反対側には日常雑貨店も並ぶ。基本的生活に必要なものはとりあえずここで揃えられそうだ。
 しかし、歩いていて気になるのはメインストリートの背後に存在する村の中である。
 遠くに獅子山を臨む牛池湾村は100年以上の歴史がある。メインストリートのすぐ奥に村の住居が並んでいるのだが、ここから先はプライベートな場所という感じで、中に入るのははばかれる。しかし、村の中がどうなっているのか、気になるところだ。
 住民は昔から家族でここにずっと暮らしてきた人たちがほとんどだろう。家自体は建て直しや修繕が繰り返されているだろうが、第二次大戦前の「昔の香港」の居住地の雰囲気が今も残っているのでは?……気になる。
 村見学ツアーをやっていただけないものだろうか(もちろん有料で)。

亜張理髪店の看板の先には村の生活が

増築を重ねたっぽい建物も村の家? そして背後には村を見下ろす
高層ビルが
 ご近所の人々が集まる牛池灣街市

 メインストリートにさまざまな商店が並ぶ牛池湾村だが、実はその先には牛池湾街市もある。
 街市の1階は野菜や鮮魚そして、叉焼などの焼味(ロースト)などを販売。
 2階には肉や乾物関係中心。東南アジア産のスパイスなどもそろっている、そしてフードコート(熟食中心)も!。大きくはないが住民密着な感じの楽しい街市である。
 昼食も夕食も商店街と街市のお惣菜で十分まかなえる!
 牛池湾村、かなり住みやすいのでは?


2フロアからなる街市は朝から賑やか

焼味がずらり。おいしそう&リーズナブル

 
 そして牛池湾街市はもちろん近隣の公共団地やマンションの住民も利用する。
 街市からは天橋(陸橋)が伸びていて、大きな清水湾道をまたいだ先には公共団地坪石邨があるのだ。坪石邨内にも市場はあるが、住民は気軽に橋を渡って牛池湾街市やさらに牛池湾村の商店街にも買い物に行くことができる。隣の彩虹邨からもバイパス7(龍翔道)を横切ればすぐだ(もしかすると地下鉄出口を地下道のように利用してるかも)。
 買い物をするうえではなかなかに恵まれた環境だ。 
「焼味はどこそこの街市の●●がおいしいけど、安いのは△△、お惣菜は村の商店の●●がおいしい、野菜が新鮮なのはどこそこ…」と近所のお店情報を細かく集めて買い物するベテラン主婦やハウスヘルパーも多いのかも…などといろいろ妄想してみる。

牛池灣街市のちょっと立体的地図

牛池灣街市からの天橋は清水湾道を超えて公共団地へ

天橋の先には大きな公共団地・坪石邨が

 なお観光客としては、朝、牛池灣村で早茶をして商店街や街市を見た後、天橋を渡って、九龍の代表的屋邨の坪石邨や彩虹邨(それぞれの一つの町だ)を住民の迷惑にならぬよう徘徊し、団地内の茶餐廳で昼ご飯を食べるといった「九龍の古き団地街を味わうツアー」が楽しい。

牛池灣文娯樂中心と香港BL文化との関係

 余談だが、牛池湾街市には体育館や文娯中心といった公共施設も隣接している。文娯中心は市民文化センターといった感じで、演劇や美術関連の練習やセミナーが開ける場所があったりするが、ここの文娯中心には舞台もあって、芝居やパフォーマンス公演もできるらしい。これは文娯中心としてもかなり稀。牛池灣は古くから文化に関心の高い地域なのか、住民の力が強いエリアなのか
 ちなみに牛池灣文娯中心は1994年に7月に「少女漫画Summer Time」という同人イベントが開かれた地でもある。明治大学藤本由香里ゼミの卒論・修論発表会で偶然香港人留学生馮秀媛さんの「香港におけるBLの受容史」(すごく面白い内容!)を聞いて知ったのだが、このイベントにはやおい系同人誌も登場し、「やおい(YAOI)」という言葉がイベント内で使われるなど、香港BL史的には意味のある出来事だったという。
 あの庶民的な牛池灣の街で、あの賑やかな街市に隣接するところで「やおい」とは!
 そのギャップがなんとも香港らしい気がする。
 ちなみに牛池湾文娯中心は02年に建てなおされたようなので、当時は今よりももっとのどかなセンターだったのではないかと思われる。
 次回は香港BL史跡としての牛池灣文娯中心にも行ってみたいと思う。

2020年6月10日水曜日

九龍の「村」で早茶を 【牛池湾村探訪1】


 牛池湾村というところに獅子山が見える茶楼がある--ネットでそんな情報を知り、初めて早茶をしにいったのは17年5月のこと。ちょうど同時期に香港を旅していた友人を誘った。
 牛池湾村は東九龍エリアに残る数少ない村の一つだ。同じく東九龍エリアの茶果嶺村、竹園聯合村と共に再開発地域に指定され、いずれ「消失」することが決まっているという。

 「村」はMTR虹彩駅のすぐ近く、九龍サイドの 古くからの団地エリアにあった。駅出口前は幹線道路のルート7が走り、周囲に高層マンションや公共団地群がそびえる。やや無味乾燥だが、とても香港的な風景である。
 だがしかし。
 こんなところに村が?という感じだ。普通に九龍のちょっととっつきのわるい住宅地という感じで、高層ビルがそびえる風景にはどこにも「村」の匂いはしない。
 しかし地図を見ると、牛池湾村はすぐ近くにあるはず。半信半疑なまま、出口のすぐ横にある細い道を通ると、その先に狭そうな路地が見えてくる。
 路地に入ると、そこはいきなり「村」だった。
 狭い通りに、理髪店やら日常雑貨店やらなんだかレトロな商店がずらり並び、朝9時だというのにざわざわと人がいて、そぞろ歩きつつ買い物している。
 突然,別の世界にワープしたかのよう。
 『少林サッカー』に登場する村にでも迷い込んだ気分だ。
 どうやらここが牛池灣村のメインストリート「龍池径」らしい。
 遠く(西北方面)を眺めると獅子山がうっすらと見える!(天気がいまひとつよくなかったのだ)
 村のメインストリートに並ぶ小さな商店に朝からやってきて野菜や魚や肉や日常雑貨をあれこれチェックするご近所の人たち。まさに「獅子山下」の世界である。



朝9時ごろ地下鉄駅から突如郷愁あふれる村の商店街にワープ





 70年代初頭の香港にタイムスリップした気持ちになりながら、龍池径でも存在感を放つ茶樓「新龍城茶樓」へ。屋内のちゃんとした客席もあるのだが、店先にバラック風な屋根付きテラス席が用意され、大勢のお客がテラス席でわいわいがやがやと早茶をしてる。このテラス席がけっこう長い。端っこのほうは鳥かごも一つ吊るされていた。郷愁あふれる風景。香港の30代、40代に見せれば「懐かしい!」という声が上がりそうだ。
 ということで当然私たちもテラス席へ。
 



店先(テラス席奥)には蒸し中の蒸籠がずらり


 お茶はセルフサービス。テラス奥に用意された急須にお茶を入れ、給湯コーナーで湯を注いで席へ。點心はお店入口前テラス席奥で勢いよく蒸されている蒸籠の数々から選ぶというシステムだ。友人とあれこれゲットしてはテーブルに並べる。狩猟本能を満足させられるひと時。
 むぐむぐと點心をほおばる私たちの向かいには、おばあちゃんがお茶をすすりつつアンニュイに新聞を読んでいる。點心はもう食べてしまったようだ。こちらには全く無関心という風だが、「ありゃ!物好きな日本人観光客が来てるよ!」と思いながら一瞥しては鋭い観察眼を駆使していることは間違いない。
 テラス席は一人客、二人客も多い。
 9時は早茶としてはすでる終盤だが、茶樓はかなり混んでいた。老人客が多いけれど、もっと若い人たちもけっこう混ざっている。牛池湾村の住民だけでなく、ご近所には彩虹邨、坪石邨といった比較的大きな屋邨もあるから、そこの住民もこの郷愁ある村の茶樓に早茶を食べにやってくるのかもしれない。



 早茶ピーク時の7時ごろに行ったら、この地域いったいのお年寄りでたいそうな賑わいを見せていたかも。
 ちなみに點心はやや大ぶり、定番のものが中心でしみじみ美味しかった。
 帰り際、支払いをしていたらお店のお姐さんから「日本人?」と尋ねられ、「サヨナラ、ありがとー」と明るく送り出されたのであった(やはり、さりげなく皆様から観察されていた私たち)。

 なお、1年後、別の友人4人で再訪したときにはお姐さんの日本語の語彙がかなり増えていたのであった。

村のすぐ先には高層マンションが

村の入り口にある理髪店








2019年12月16日月曜日

旺角広東道の老舗・中國冰室が年末に閉店

 12月12日、旺角・広東道にある「中國冰室」が12月31日に閉店するというアップルデイリーのニュース("伝聞"として伝えている)を知り、大変ショック。

 中國冰室は1964年に開業した昔ながらの冰室(茶餐廳の前段階的な店の業態。港式のミルクティーや蛋撻やなどの軽食を出す)で、床や壁のタイルも二階から階下がのぞける構造も天井からつられている扇風機も昔のまま。香港の60年代にタイムスリップしたような気分が味わえる。
 観光客としては二階から下の階をのぞき込んだり、さまざまな柄のタイルを鑑賞するのが楽しいお店だった。





 香港映画にもしばしば登場し、杜琪峰監督の『PTU』では深夜にPTU隊員役の邵美琪(マギー・シュウ)が凍檸琲(アイスレモンコーヒー)を注文していた…(実際の中國冰室は深夜営業はしていません)。
 

閉店理由は経営者の高齢化と後継者がいないためとのこと。
これは現在、アジア各都市の老舗が直面している問題でもあると思うが、中でも香港の場合、家賃の高騰があまりにも暴力的で飲食の商売は非常に厳しい状況にある。なかなか後を継ごうという若い人は出てこないだろう…。
 昔から愛されてきた店が消失するのは、その街の歴史や文化の一部が消えていくことでもある。寂しくそして悲しい。







2019年11月7日木曜日

Mount Zero Books(見山書店)--太平山街の魅惑的書店

【7月以降大きな歴史のうねりの中にある香港。なかなか遊びに行けていない中、恋しく思う街角、すぐにも飛んで行きたい場所をあれこれリストアップしています】

「太平山街」は香港島・上環エリア、荷李活道の南側にある坂道(一部階段)の小さな通りで、近年その一帯に雑貨店やギャラリー、カフェやレストランやバーがいくつもでき、たいそうお洒落な地域となっている。
 その坂を上り切ったあたりの横道に見山書店(Mount Zero Books)はある。
 この書店、香港では珍しい洋風二階建ての本屋さんなのだ。
 黒の窓枠に白い壁という絵本に出てくるようなキュートな建物で、ある香港女性のブログによると以前はここは花屋さんだったそうだ。
メルヘンチックな二階建ての書店。以前は花屋さんだったらしい
店内は4,5人のお客が来たら満杯というこじんまりとした空間で、壁際に本棚が並び、中央の四角いテーブルにも本が平積みされ、さらにバッジやトートバッグやポストカードといった雑貨も並べられている。
 本は古本が中心で一部新本も置かれているといった感じ。冊数は決して多くないが、台湾の出版社の本や中国の文学書もあるし、日本の作家の翻訳本もある。最初に訪れたときにはGunmaという写真集がフィーチャーされていた。ガンマ? なんと群馬の写真集だった!(著者は香港人)。
 雰囲気はかわいらしい書店だが、並んでいる本を眺めるとなかなかにシブいのだ。

 二階へは店の奥の急な階段を登っていく。窓から光が入ってくる居心地のよい空間で、背の低い本棚がいくつか並び、窓際には作りつけの長い机とベンチがあり、机の上には氷入りの水が入った水差しとガラスのコップも備えられている。窓際でのんびり好きなだけ読書三昧ができるのだ。すばらしい!

二階はミニ読書室的空間





  この魅惑的な書店が実は「日替わり店長制度」というユニークなシステムで運営されているのを知ったのは2度目に訪れたときだった。
 初めて訪れたときは眼鏡をかけた学生風な女性スタッフがいたのだが、この時はもう少し年上のてきぱきとした女性(エステルさん)がいて、英語でお勧めの本などを紹介してくれた。こちらが日本人とわかると「私は普段は看護師をしているのだけど、以前日本の被災地(台風か水害の被災地だったようだ)に緊急支援ボランティアで行ったこともあるのよ」と思いがけないことを語ったのだ。
 詳しく聞くと見山書店の店長は日替わりで交代しており、全員がパートタイムの女性たちでだというのだ。
 見山書店は約1年半ほど前にシャロンさんという女性が開業した。彼女は以前から書店を開くのが夢だったが、他にも仕事をしていて忙しく、フルタイムでは働けない。そこで本好きの友人たちなどに声をかけ、現在のようなシステムとなったそうだ。
「毎日店長が違っているから、本の並べ方も変わるの。日によって、書店の印象も違うはず。面白いでしょ!」とエステルさん。
 日替わり店長の報酬はどうなっているのか、売上げをオーナーと折半するのか、固定給なのかボランティアなのかそのあたりまでは聞けなかったけれど、この緩やかなシステムを店長たちは楽しんでいるようだった。

『盛世中国2013』の著者・陳冠中氏の読書会&サイン会も

壁の向こうは卜公花園

 なお、中文の店名「見山書店」は「見山是山,見山不是山,見山還是山」という禅(問答)の言葉からとられ、英文のmount zeroは下山する際の原点(出発地点)を意味する言葉らしい。オーナーのシャロンさんがつけたのだろうか。いつかシャロンさんが店長の日に行って、話をうかがってみたい。

 書店では著者を招いてのトークショーも毎週のように開いている。会場となるのはお店の前。お店のすぐ脇には壁があり(UFOなどのキュートな絵が描かれている)、ちょっとした広場的空間になっているのだ。ここに椅子を並べて、青空あるいは夜空セミナーが今も開かれている。

見山書店 Mount Zero Books 
太平山街6C
平日 11am--6pm
週末 12am--6:30pm

2018年10月24日水曜日

奥卑利街の老舗珈琲豆店の引っ越し

 香港島の大館(旧中環警察+ヴィクトリア監獄)近くにある老舗のコーヒー豆専門店「奥林比亞接臣珈琲(Olympia Graeco Egyptian Coffee)」がビルの建て替えで立ち退かなくてはならず、移転することになった。最近の香港では珍しくなくなってしまった悲しい知らせだ。地価高騰の中、ビルの売却やら建て替えによって、多くの人に愛されてきた店が突如姿を消してしまう。
 11月1日から3か月間はPMQ(旧既婚警察官の宿舎、今はお洒落な文化&商業施設)でポップアップショップを展開するとのこと。ただし、その後の移転先はまだ決まっていないようだ。
 移転準備のため10月23日から休業、10月22日が現店舗の営業最終日となった(涙)。
奥卑利街の急な坂にあった老舗珈琲豆店
 イラストレーターの小野寺光子小姐に誘われ、急な坂の途中にある店を初めて訪れた時は「香港にこんなマニアックなコーヒー豆店が!?」と驚愕した。それほど広くない店の奥には数台の焙煎機が並び、中にはかなり歴史を感じさせるものも。香港には珍しいコーヒー豆専門店だったのだ。
 実は、香港は美味しいコーヒーが飲めない「コーヒー砂漠」として長らく知られてきた都市である。茶餐廳でもコーヒーは飲めるが(ミルク入りが基本、ミルク抜きにしてもらうこともできる)、出されるのは香りがほとんどしないどんよりとした独特な味の珈琲なのである。香港の人は「コーヒーってどこがおいしいのかな?」とずっと思いながらこれを飲んできたと思う。

 実をいうと、「香港人と珈琲とのかかわり(受け入れないという反応も含めて)」についてはとても関心がある。茶餐廳に入ってくる珈琲豆はどこのものなのか、ミルクティーと珈琲を合わせた「鴛鴦茶」誕生秘話(当初、珈琲が売れず、余った珈琲豆の消費方法としてこのメニューが生まれたと勝手に推測している)など、知りたいことはいろいろあるのだが、それはさておき、それくらい香港人には珈琲は長いこと受け入れられず、そしておいしい珈琲も飲めなかったのだ。
 そんな香港において、このお店のコーヒー豆はコーヒー好き外国人に愛されてきた。当然だろう。(後年は日本人駐在家族もよい顧客になったとか)。

 マンダリンオリエンタルなど五つ星ホテルにも先代店主の何伯氏(故人)が焙煎したブレンドが納入されてきたそうだ。
 現在、店を切り盛りしているのは何伯氏の子供たち。気さくでフレンドリーな接客担当のKatieさんと、職人気質を漂わせる焙煎担当のEdwinさんの姉弟である。2011年に亡き父親の後を継いだ。
 二人の話や各メディアの記事などをまとめると、店の歴史は1927年、ギリシア系のエジプト人が中環畢打街にタバコとコーヒー豆を商う店を開いたのが始まり(当時の店名はGraeco-Egyptian Store)。その後、第二次世界大戦が終結すると、女婿のギリシア人のSarafoglous 氏が後を継ぎ、1955年から姉弟の父、何伯氏が焙煎担当として働きだした。なお、何伯氏は広東省新會出身で子供の頃に香港に渡り、当初は船舶会社関連の倉庫で働いてたそうだ。
 やがて1984年に子供がなかった二代目から何伯氏が店を譲り受け、店名に奥林比亞(Olympia)が加わったとか。
 エジプト人→ギリシア人→香港人とさまざまな背景をもつ人たちに受け継がれて90年。東西文化が交錯した香港らしいプロフィールをもつ店なのだ。
急な坂道の途中にあった店内には
焙煎や豆を挽くマシーンがずらり

 ところで4代目の時代に入り、香港でもコーヒーブームが起き、香港人のお客も増えてきた。姉弟も珈琲豆の研究を重ね、豆の種類を増やしている。いよいよ香港にコーヒー新時代が到来?
 なお彼らの父・何伯氏によるブレンドは「プレミアムブレンド」として販売。今も人気が高い。
 こうして店も新しい時代を迎えつつある。
 そうした中で、父親から受け継いだ店の移転は4代目姉弟にとって大きな試練だろう。どうか彼らの商いにとってよい場所が見つかってほしい。そして老舗珈琲豆店の次の時代を切り開いてほしい。
 とりあえず11月からオープンするというPMQのお店に行くつもりだ。



父の店を継いだ姉弟。職人な弟が姉さんにちょっと
偉そうに指示している様子もなんだか微笑ましいのだ